この記事は書き出したら長くなったので、分割しました。
あくまでも、田舎のカメラ好きな私の独り言であり、客観性には欠ける内容だと思うので、賛同する人だけ読んで頂けたら励みになります。
中学生(写真部)時代のカメラへの印象
私は中学生時代に写真部に入りました。
なぜ写真部に入ったのか?
その当時の我が家には、立派なカメラは無かった。
それでもカメラが好きだった。
当時の我が家は「ピッカリコニカ」C35EFがあっただけでした。
井上順さんのコマーシャルで有名になった「ジャーニーコニカ」C35に対して便利なストロボ内蔵されたモデルでした。
Konica C35EF
こちらのKonica C35EFの画像はカメラ・ミュージアム by awane-photo.com 〜 仮想の「カメラ博物館」へようこそ!さんが掲載されたものを許可を得てお借りしてます。
懐かしい画像をありがとうございます。
ピッカリコニカの話が詳しく書かれてます
https://www.awane-camera.com/3/3/konica_c35ef/
Konica C35の派生型でストロボ内蔵の画期的なカメラC35EF
当時画期的だったがピッカリコニカのレンズでは蝶の写真には辛かった
最初の夏休みは成果なし
夏休みは中学校の写真部の写真展の準備期間でした。
私の好きな蝶の写真撮影にはピッカリコニカのレンズでは焦点距離も最短撮影距離も役不足でした。
近くに寄らないと大きく撮れないので、俊敏な蝶の多くは逃げます。
割と人に無頓着なのはモンシロチョウやモンキチョウなどでは、写真展に出しても誰もみてくれないような蝶ばかり。
少し珍しい蝶になると、不思議と俊敏で人を許容しないし、そもそも人の近寄れる高さの花にはなかなか着地してくれませんでした。
朝から夕方まで草原のような場所で、隠れる体制で夏休みの毎日を蝶を待ち受けてましたが、狙いの花びらに飛来した蝶の95%くらいは近寄る段階から逃げられてました。
ピッカリコニカの画角で大きく撮影することは出来ず、おそらく1ヶ月くらいの夏休みは雨の日以外は、常に自宅から自転車で行ける範囲の昆虫の楽園で張り付いていました。
稀に近寄れた時の新たな悩みも
1日に1回か2回ですが蝶に近寄れるチャンスもあります。
でも、せっかく近寄れてもぴっかりコニカは接写能力がないので、後で現像された写真を見たらピンボケだったのです。
ビューファイダーらしき物はありますが、ピントは自分の距離感を頼りに3段階程度の手動調整なので、近寄り過ぎのピンボケは現像するまで分からない物でした。
失敗ピンぼけを見た後でピッカリコニカには接写レンズが別売されていると知って、早速購入して使ってみました。
Konica C35系の接写レンズ
こちらの画像はカメラ・ミュージアム by awane-photo.com 〜 仮想の「カメラ博物館」へようこそ!さんが掲載されたものを許可を得てお借りしてます。
懐かしい画像をありがとうございます。
これはこれで画期的なアイテムでしたが、買って使ってみると、また新しい問題点が浮上しました。
接写時のピント位置を知るためには3本のロッドアンテナを伸ばすのですが、これが蝶の視線に入りやすく、朝から夕方まで花園に隠れてシャッターチャンスを狙っても、そして蝶に近寄れても、最後にこのアンテナ3本が蝶の視線に入って逃げられました。
最終的にはロッドアンテナを一本だけ伸ばして使ったり、それでもダメだったからアンテナの長さを暗記してから実際はアンテナを使うことをやめて、アンテナをイメージしての距離感に頼った撮影になりました。
それでも接写レンズが装着された事で何度か成功写真もあったと記憶します。
2度目の夏休みは一眼レフを先輩が貸してくれた
一年が経過して2度目の夏休みを迎えた時、写真部先輩が一眼レフカメラと200mmくらいの単焦点望遠レンズをセットで貸してくれました。
写真部は所得の高そうな家庭の人が多く、皆さん、ランチジャーみたいな望遠レンズケースを持って来たりしてました。
PENTAXのK2DMD?とか最高峰カメラを持つ新入生もおりました。
私が蝶の写真が好きなのを知った先輩が、昨年の私の成果なしを知って、今年の夏休みもピッカリコニカに接写レンズだけでは大変だろうと言うことで、先輩のサブカメラであった古い一眼レフを夏休み中かしてくれたのです。
今では機種名とか明確には覚えてませんが、私が初めて本格的に触れた一眼レフカメラでした。
今思えば超レトロでした。
マウントは今のような一捻りで脱着できるタイプとは違っていて、普通にねじ込み式でした。
グルグルと何回転もさせてレンズの脱着します。今では全く見かけないのですが普通のネジが切ってあったようです。
ライカQ2の純正フードを装着する手順とそっくりなマウントでした。
メーカーはペンタックスでしたが、機種名が全然思い出せませんが、初めて本格的に使ったカメラだったと思います。
今でも覚えているのは、お借りした一眼レフはピッカリコニカになれた私には金属感触の部分が多くドキドキする質感でした。
レンズも大半が金属で作られていて、確か黒い部分も金属製だったような気がします。
もちろんマニュアルフォーカスでしたし、絞りもシャッター速度もISO感度も何もかもマニュアル。
私は、初めての体験ばっかりでした。
蝶が良く飛来する花にあらかじめ置きピンして草村の中でじっと数時間も待ち受け撮影するなどやっていました。
元々昆虫が大好きで、珍しい種類の昆虫にも詳しかったので、単なる蝶写真と言うだけでなく、そのエリアでは珍しい方の昆虫の写真を狙ったので、今になって思えば、大切に保存しても良かったような写真が撮れてました。
中学時代のカメラは超魅力的だった
こうして当時を振り返ると、当時のカメラは高級品で中学生が自分で所有するには程遠く、大人の中でもある程度の所得のある人しか買えないような憧れの機材でした。
実際に、見た目も触れた感触も 作りの良さも全てが魅力的で丁寧な物作りだったのは、今思い出の中だけど感じます。
写真部の先輩にお借りした一眼レフカメラとレンズもとても魅力的でした。
最新のフラッグシップ系のカメラやレンズの価格帯を見たら当時のフィルム一眼レフの価格帯は安価にも見えますが、中学生の当時の私には高額なのがカメラでした。
ただ、幸いにも父が職場(経理マンで予算交渉で使う)で職場に導入したペンタックスMXと広角、標準、望遠の3本の単焦点レンズを頻繁に自宅に持ち帰ることが増えた時期でした。
経理課で使うカメラだからレンズはF1.2?F1.4?クラスの高いランクのレンズだったので、良いものに触れる機会となりましたが、大人になってからカレンズ沼に落とされたのも、恐らくはこのMX一式との出会いが原因だろうとも思います。
父はカメラマンとかでは無くて、事務屋さんで予算交渉のための現場写真を撮る必要があったようでカメラも持ち帰る時があったようです。
私は、父には使われない日に借りて、当時の最新一眼レフカメラの素晴らしさを堪能しておりました。
当時のフィルムカメラは見た目、手触り、重さ、香り、金属的な輝き、モノとして写真が興味の無い人が見ても価値を感じ取れるくらいにキラキラの魅力があったような気がします。
私が今の時代の中学生だったらカメラを趣味にはしなかったと思う
何故かと言えば、スマホのカメラもあるし、デジカメは誰でも上手く撮れるから中学時代に経験したような趣味性が減ってしまっている。
周囲が暗い場面でも、スマホのカメラは、なんちゃら撮影モードで数秒の長時間露光で撮影して手ブレはピクセル単位で合成したりする離れ業ですごいし。
これならフィルムのISO感度を超えての増感現像を暗室でしないでも撮影できてしまう。
写真が趣味の人でも趣味じゃない人でも、素人目に見たらそこそこ綺麗には撮れる。
流石にスマホカメラとフルサイズカメラで撮る写真は私だって雲泥の差だとわかるけど、でも趣味じゃ無い人から見たら、特に大画面PCで比較しないでスマホだけで見るならば、下手すればスマホカメラの方がディティールがスマホ画面に最適化された強調されて良い写真と見る人もいるような。
中学時代のカメラだと、一眼レフで撮る写真と、ピッカリコニカなどの普及価格帯のカメラでは、撮れる写真が明らかに性能の差があって、レンズの差もあるし、ついでに、一眼レフとピッカリコニカではカメラの操作を出来る人の差もあったので、機材と熟練度で両方で趣味性が高い時代だったと思います。
そういえばバカチョンカメラと言う呼び方も、一眼レフカメラ以外の割と簡単操作なカメラに対して言われていた記憶ですが、私の家にあったKonica C35EFもそっち側だったんだと思います。
昔なら一眼レフでは、ピントを合わせて露出もキチンと合わせられるだけでも趣味の領域で腕の見せ所だった気がします。
ピントをどこに合わせるか?被写界深度をどのくらいに考えるか?シャッター速度はどのくらいにしたいのか?
一枚一枚を考えて撮影しました。
一眼レフカメラを持っている時点で、その操作が出来る証でもあるので、ちょっと鼻が高いのが一眼レフだったけど、今では高額なとても高額なミラーレス一眼でもオートで使えば誰でも扱える利便性が入ってます。
まるで、オートマ限定免許の影響で、車に興味がない人も免許を取れて、下手くそでも路上を走っている現代社会のような感じ。
話が逸れるけど、高齢者がボケて運転して逆走とかするのも、乗る車がオートマだから簡単操作だから運転リタイヤのタイミングを知る機会がないからじゃないだろうか?
マニュアルだったら自分がボケてきたら運転が難しくなって逆走とかする以前に運転を諦めるんだろうなあと。
車もカメラも自動化が進むと、趣味性が失われるのが諸刃の刃だと思った。